座談会
ISSUE JHD&C×花王 髪の毛の研究に関わる花王とJHD&Cの座談会-5
研究開発のテストに欠かせない評価毛について、疑問、偏見、「普通の見た目」とは何なのか、そして花王という会社と仕事について語っていただきました。
花王の皆さんにとって「髪」とは?
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渡辺:
JHD&Cにとって髪は、単純にいうと「ウィッグの素材」であって、これはもうどんな人の髪も変わりなく、等しくウィッグの素材なんですね。
でも、ヘアドネーションに協力してくださる多くのドナーにとっては、1人1人その思いは違っています。
ドナーから寄せられたドネーションフォトの数々
ただほったらかしてたら伸びたので、よかったらどうぞという方、山口さんのように自分もがんを経験して、髪がなくなるっていうのは本当に辛いことだなと感じて一生懸命伸ばされて、どうぞお使いくださいという方、子どもが小学1年から5年まで伸ばしました、お役立てくださいという保護者の方もいらっしゃる。
ウィッグを受け取られるレシピエントも、髪をどのように思っているかは1人1人違うと思うんです。
みんなからジロジロ見られたくないからウィッグを使っているという方もいれば、ウィッグは本当の自分ではないから、人目は気になるけれど外して生活するっていう脱毛の方もいらっしゃいます。今日お集まりいただいた皆さんは、髪と仕事で接していらっしゃるわけですよね。そこで、単刀直入にお伺いします。
「髪」って、ご自分にとってどういうものだと思いますか? -
川上:
当たり前にありすぎて、すごくレッテルが貼られやすいものだなと感じています。私は闘病の経験がなく、当たり前に生えているから、そこにありがたみを感じたことはこれまでなかったんですけど、実は知人が抗がん剤治療で髪が抜けたことがあるんです。
花王ヘアケア研究所第2室の川上るなさん
本人は何も悪いことはしていないし、辛い病気に立ち向かっているのに、髪がないっていうだけでジロジロ見られたり、「可哀想な人」として見られてしまうことが、友人として納得がいきませんでした。
花王としての取り組みも、今までいろんな技術を使って役に立つものを世に出してはいるけれど、語弊はありますがあくまで「普通の人」、当たり前に髪があって生えてくる中で、くせの悩みがある方や、白髪に悩んでいる方に対応していました。
そもそも髪が生えてこない方や、今まであまり着目されてこなかった方にもっと手を差し伸べられたらいいなと個人的に思っていますね。
それから、JHD&Cさんの事務局にお邪魔して髪に同封されたお手紙を実際に見ると、こんなに長く伸ばすのはお手入れも大変だし面倒だし、さらにくせ毛や白髪だったりするとなおさら大変なんだろうなと思うんですけど、そのハードルを超えてでも「人の役に立ちたい」って思ってくださる方がいるのは、心にもグッとくるものがありました。
JHD&Cに寄せられたお手紙
髪の裏にある背景や思いを考えるようになって、今までよりもっと、誰かのために役に立つものを作れたらいいなっていうことを考えるきっかけになりました。
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渡辺:
「普通」って難しいんですよね。髪がない方は、髪がないのが「普通」ですから。
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山口:
私も花王の中でいろんな人に、がんの方ってこんな肌の悩みがあるので、こういうスキンケア製品を作りませんかっていう投げかけをするのですが、自分たちは「普通の人」が対象だからって言われることが多くて。
じゃあ、がんに悩む私たちは普通の人じゃないのかな、普通ってなんだろうなってやっぱり考えますね。
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今西:
「普通」と思われている方でも闘病した経験があったり、事故に遭って髪をなくしたことがあったり、見えていないことがありますよね。そんな方が心を痛めながら、大多数の人に馴染んでいることもあると思います。
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山口:
私が病気で経験したことはすごく貴重で、自分の感覚としては命より髪を選ぶことはなかったんですよね。
抗がん剤治療に関して言えば、脱毛しても1年か2年経てば大体生えてくるというか、先が見えているところがありますし。ウィッグだけじゃなくて帽子やターバン、スカーフなど、いろいろな選択肢があると思うんですけど、そういうものが許される社会というか、髪がそういう位置付けになるといいと思います。みんながみんな、いわゆる「普通」を享受されているわけではないので、さまざまな人がいて自然という社会になっていくといいなと思います。
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重久:
私も昔、髪が伸びにくい時期があって、ベリーショートにしていたんですが、その時に社会の決めつけを感じていました。例えば温泉に入る時とか、すごく見られるんですよね。
花王研究戦略企画部 主任研究員の重久真季子さん
髪は、印象付ける、印象付けられるという点でとても重要なもので、ある意味レッテルが貼られやすいものです。
でも、上手く使えば楽しめるものでもあるから、ベリーショートでも坊主でも、自分で表現することを認められる社会にしたいなという気持ちはあります。
先日、がんサバイバーの方のお話を伺ったんですけど、「がん患者は治療が終わっても不安をずっと抱え続ける。検診に行くたびに寿命の延長を言い渡される感覚だ」とおっしゃっていたのがすごく印象的でした。
がんにしても脱毛症にしても、どうしても誰かと自分を比べがちですが、大変な人が可哀想というわけではないですし、脱毛当事者の方が背負っているものを比べるのではなく、偏見をどうすればなくしていけるかという視点に立って、花王として何ができるかということを考えています。
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渡辺:
長瀬さんはいかがですか?長瀬さんにとって「髪」って何でしょう。
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長瀬:
私は皆さんと全然違うんですよ。もともと自分の髪に全く興味がなくて、どうでもいいというか、実はシャンプーくらいしかしていないんです。ただ仕事柄、「毛髪」そのものへの興味はありまして、調べれば調べるほどいろんなタイプの髪があって本当に面白いなと思っています。
何年か前にJHD&Cさんの事務局に行って仕分けをさせていただいたんですが、私からすると「宝の山」がある感じでしたね。
花王の中でも、社員が髪を切ったら研究用にくださいと言って集めていたりするんですけど、黒髪で直毛の長い髪がほとんどなんです。ところがJHD&Cさんのところには本当にいろんな髪があって、白髪もあり、くせ毛もあり、すごくいっぱいで、私は個人的にはいろんな髪を見ることができて嬉しかったです。
JHD&Cにはさまざまな髪が寄せられる。
こんなにカラフルなものもいろんな髪を知ってくると、例えば校則で「パーマは化学処理をするので安全性の意味でやめなさい」っていうのは理解できるんですけど、もともと明るい髪色の生徒の髪を黒く染めるっていうのは本末転倒だろうと思います。
いろんな髪のタイプがあって、いろんな人がいて、それをありのままに受け入れられるようになればいいし、それを支えられるものが作れればいいなと思っています。
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渡辺:
内山さんはいかがですか?
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内山:
私は、父がお寺の住職だったので、生まれた時からスキンヘッドしか見たことがなかったんです。
髪がない人を見慣れているっていうのは、皆さんとはまた違う視点かもしれないですね。髪がなくて周りから見られているという感覚は私にはなくて、授業参観に父が来ても別に何も思いませんでした。病気かもしれない、職業かもしれない、いろんな理由で髪のスタイルが違うということが当たり前になって見慣れてしまえば、そんなにこだわらなくなるんじゃないでしょうか。花王ヘアケア研究所第2室 室長の内山智子さん
私は、髪には2つ意味合いがあるのかなと思っています。
1つは「頭を守る」という、人類の髪が伸びるそもそもの理由ですね。
父も頭を守るものがないことだけは不便していて、冬は寒さを和らげるために毛糸の帽子をかぶったり、夏は汗が直接目に入ってくるのを防ぐためにタオルを巻いていたりしました。そういう点で、髪って必要なものであるとは思います。
もう1つは、「自己アピールの手段の1つ」として捉えられるということでしょうか。
髪にあまり興味がない方と、すごく興味がある方と両方いらっしゃって、興味がない方にとっては、ある程度頭を守るベースがあれば良いですが、すごく興味がある方は、もっとこうしたいああしたい、お化粧と同じくらいの望みがあるのに叶えられない自分に悩まれます。
個性が出すぎて思い通りに扱えないことが悩みの種になるという、ちょっと厄介なものだと私は捉えていますね。
先ほど「普通ってなんだ?」という話がありましたが、髪がある人が多数派で髪がない人は少数派、日本人だと直毛の人が多いのが普通で、それ以外の人は普通じゃないみたいな、そういう社会にはしたくないなと思っています。
タイプが異なるいろんな方が入り混じれるような、平等な世界や価値観を実現できればいいなと思っていて、ヘアケアの研究としては皆さんの「思い通りに自分の好きなことをしたい」という願いを実現したいと思っているのと、髪のあるなしにこだわらずに、自分が自分でいいんだって思えるようなメッセージを出していきたいなって、そんなふうに思っています。
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今西:
同じ会社の中のたった5人でもこれだけ意見が分かれるって、とても興味深いことですね。「髪の毛」というものを通して、自分のアイデンティティや存在意義への思いがあって、それは本当に千差万別なんですね。
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渡辺:
髪の毛だけではなくて、“人の見た目”に他人がごちゃごちゃ言うたらあかんよね。
もちろん、ウィッグを楽しんでもらえるのは大歓迎なんですけれども、ただ、“見た目”に対する価値観や概念が、「髪の毛が無い状態も、ウィッグの状態も、どちらも普通で自然」という社会を目指したいですね。
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